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2020年7月

カモの親子のお引越し

6月前半には日照り続きで、あれほど雨を心待ちにしていましたが、長梅雨がここまで続くと今度は太陽が恋しくなります。

勝手なものですね。

 

九州で大きな災害をもたらした雨が長野県にも降り、一時かなり警戒しました。

それで警戒警報が出た日、安全なところにあるホテルに一泊。

しかし、予約した直後から雨は小降りになり、午後から穏やかな小春日和?になり(-_-;)

迷ったものの、予定通り一泊。

夜は久しぶりに家族3人、お寿司屋さんで乾杯!

まったりゆったりの一日を過ごしました。

これはこれでいいかな、と。

しかしまたお笑いエピソードを残してしまったような(^-^;

 

そして泊まった翌日、買い物の途中に歩いていた公園でカモの親子発見!

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雛たちはまだぽよぽよの産毛に覆われています。

お引越しかなと見ていると、近くの木の上からボタッ!と雛が一羽落ちて来るではありませんか!

死んでないか?と見ていると、これがじきに起き上がって兄弟たちの方へ歩いていきます。

かなりの衝撃なのに大丈夫なのかぁと思っていると、また一羽ボトッ!

しばらくしてもう一羽ボトッ!

数えてみると雛は合計10羽。

みんなこうしてボトボト落ちてきたんですね。

巣が木の上にあるということを初めて知りました。

全員集合したとみるや、母鴨が公園の出口に向かって歩きはじめました。

道を横切り、目的地はどうやら公園の向かい側の田んぼ。

この左側の田んぼに行くにはU字溝を渡らなければなりません。

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母鴨に続いて雛たちも次々にU字溝に入り、母はさっさと土手に上がったのですが、雛たちはこの垂直の壁を登れません。

田んぼに入っていった母鴨は、しばらくして雛たちがついてこないのに気が付いて戻ってきました。

そしてまたU字溝に入り、雛たちが上がれるところはないかと右に左に行ったり来たり。

しかし見渡したところどこにも上がれそうなところはありません。

そこで夫が田んぼの隣の家のおばあちゃんに木の板を借り、坂を作ってやったところ、めでたくそこを通って上がっていけました。

「この頃見かけないと思っていたら子供を育てていたのかい」とカモを気にしていたというおばあちゃんは、雛の誕生と旅立ちを喜んでいました。

私たちも人助けならぬカモ助けができて嬉しいひと時でした。

 

近くの美味しいケーキ屋さんの、パンがまた美味しいのでたまにはと、この後買いに行ってカモの話に。

そうしたら奥さんもやはり前からカモが気になっていたとのこと。

顛末を話して喜んでもらいました。

みんな優しい(*^^)

 

雛たちが木から落ちて全員揃うのを待つ様子とか、U字溝の雛たちを何とか連れて上がろうと四苦八苦する母鴨の様子。

動物の母性本能はすごい。

人間はどうか、考えてしまいました。

 

 

 

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縄文の里を歩く

諏訪に住む義兄から梅をもらうことになり、27日に行ってきました。

家に帰って漬け込むときに量ったら約12キロ。

友達のところからも少しもらえるかもしれないので、今年は梅漬けの年になりそうです。

一昨年も15キロほど漬けて去年は5キロ。

それがもう少しでなくなるところなので、ぎりぎりセーフ!

来年は楽ができそう😃

ジュースも買ったり頂いたりした梅を13キロ仕込みました。

これで1年分はありそう。

らっきょう漬けは今年は夫が担当してくれたので私は食べる人。

特に塩漬けが好きな私は、ご飯に乗せて海苔で巻いて食べます。

これが最高においしい食べ方です!

 

諏訪には娘が運転手として行ってくれたので高速に乗ることができ、時間に余裕ができたので諏訪大社上社の本宮・前宮を参拝してきました。

いつも下諏訪の下社に行くばかりで上社には実は初めて。

下社秋宮のような門前町の賑わいはありませんが、鬱蒼とした樹齢千年クラスの巨木が何本も生い茂る本宮の境内は歴史の重みと荘厳な雰囲気があり、圧倒されました。

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それから前宮へ。

こちらが実は諏訪大社四社の中でも一番歴史の古い場所だそうです。

社はそれほど大きくなくむしろ質素で、向かって左手には1キロほど上流から湧き出す清水が滔々と流れ(水眼の清流)、これが手や体を清めるために使われています。

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奥に見えるのが四隅にある御柱の左奥手の三の柱。

七年に一度の御柱祭りは再来年がその年だそうです。

飾り気のない素朴なお宮であるために、余計に土着信仰の歴史の古さを感じました。

 

この諏訪大社上社の古代からの神官を務める守矢家資料館が近くにあります。

実はこの資料館を作った藤森照信氏が情熱大陸で取り上げられ、是非実際に尋ねてみたいと思っていたのです。

実際にこの資料館の近くで生まれ育った藤森氏は第78代守矢家当主守矢早苗氏の幼馴染とか。

藤森氏の建築はユニークです。

下が資料館。

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黒く見える外壁は焼杉。

少し離れたところには3種の建造物。

これは高過ぎ庵と低過ぎ庵(笑)。

手前が竪穴式住居のような低過ぎ庵、左上に見えるのが高過ぎ庵。

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そして空飛ぶ茶室。

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発送が個性的で面白い。

材料や形など自然に寄り添う感じが私は好きです。

 

古代の歴史を堪能していたところ、資料館の案内の方から意外な情報を聞きました。

この資料館の少し上手に小さな古い社が祀られています。

そこが何と、ミシャグジ信仰の始まりの場所と!

目立たず、むしろひっそりとたたずむ、この社の場所からミシャグジ信仰が広まったと思うと、また俄然、縄文の歴史文化に興味がわいてきます。

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ミシャグジ信仰については諸説あり、当て字の漢字もいくつかあってよくわかっていないのですが木と石のどちらか、または両方を祀っている土着の精霊信仰と言えるもののようです。

一説には木に降り、石に宿る神霊であると。

ミシャグジにしても諏訪大社さえも、調べると本当に諸説乱立状態で本当のところは分かりません。

 

しかし確かなことは、1万年を超える大昔から、人々は自然の中に目に見えないもの、何らかのエネルギーの存在を感じ、畏怖してきたということです。

私たちはそのエネルギーを感じる感性を鈍らせてしまっているということかもしれません。

特に戦後教育はアメリカに誘導された唯物論的なものであり、あまりに強かった日本を恐れたアメリカはその根源にあるものを宗教的な教育であるとみなし、それ以前の感性の教育がそぎ落とされたと言われています。

混乱する世界を乗り切るには、取り戻さなければならない教育があるのではないか。

古代の聖地の里を歩き、そんな妄想が浮かびました。

 

良質の黒曜石が産出したことから3万年以上前の遺跡が発掘される諏訪地方は、この時代日本の中心地であったとも言われます。

また縄文遺跡も数多く、古の人々の息遣いが感じられるようなこの里を歩くだけでも心のスイッチが切り替わるような…。

尖石縄文考古館も行きたかったのですが、とても時間が足りませんでした。

夏には行きたいと思っています。

 

 

 

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